「清水の舞台から飛び降りたつもりで…」の諺で知られるこの舞台。
八世紀末の創建以来、観音霊場として広く信仰を集める当山は、京都東山三十六峰の一つ音羽山(清水山)の中腹に位置し、参詣の皆さんは参道を息を弾ませて登ってきて下さいます。やっとの思いで辿り着いたこの舞台からの眺望は、古今老若男女問わず参詣者の心を和ませます。
しかしこの舞台が、ご本尊 清水型十一面千手観世音菩薩様をお祀りする清水寺の本堂であることをどれだけの方が認識して下さっているでしょうか。清水寺の本堂は大まかに申して四つの構造に分かれています。一番外側が舞台、そこから内へと外陣、内陣、内々陣。舞台上で眺望を楽しんでおられる皆様がお尻を向けているその先、本堂内々陣の須弥壇上にご本尊様はいらっしゃいます。
現在の本堂は、寛永6年の火災後に江戸幕府三代将軍徳川家光公の命により同10年(1633年)に再建されました。概ね50年から60年の周期で屋根葺替が、15年から25年の周期で舞台の修理が行われ現在まで守り伝えられてきたものです。
今回は『平成の大修理』の一環として、檜皮葺*1(ひわだぶき)・舞台板とも耐用年数に達し、その他の木部や建具・漆喰壁・漆塗・金具等の破損も進んでいたことから、平成21年10月から令和3年2月にかけて屋根葺替・部分修理を行いました。
修復にあたり、お堂をすっぽりと覆う素屋根(修理の間だけ建てておく仮のもので、作業の足場や材料の保管・加工場所として使われる)が設置されましたが、そこには通常の工事現場で見られるような単管を用いた足場でもなく、鉄骨を用いたものでもなく、伝統的な“丸太足場”(丸太組)が採用されました。丸太約5,500本、足場板約1,600枚を使用。建地(柱)には最大で径60cmのかつて電柱で使用されていた木材がアップサイクルされています。
少し本堂から離れた所からしか眺めることが出来ませんが、高78cm、幅164cmの巨大な本堂大棟の鬼瓦は約390年経った今でも圧巻の迫力です。「本宇」・「裳階」・「翼廊」からなる檜皮葺の屋根は、面積にして2,050㎡(本宇約1,300㎡、裳階約750㎡)。東西約45m南北37mあります。
「扶桑略記」による寺の縁起では、延暦17年(798年)に延鎮上人に帰依した坂上田村麻呂公が仏殿を建立したと伝えますが、この際に田村麻呂公は旧居の五間三面檜皮葺の寝屋を寄進したといいます。清水寺の本堂屋根が檜皮葺(ひわだぶき)*1、照り起り(てりむくり)*2、木部の素木(しらき)、建具の蔀(しとみ)は、このような由緒も影響していると考えられます。
*1 檜皮葺(ひわだぶき):檜の樹皮で葺いた屋根のことで、一般的には30~40年周期で葺き替えられ、建物を雨風から守ります。檜皮の採取は、「原皮師(もとかわし)」という特別な技術を持った職人が、木に縄をかけて登り、檜皮を剝いでいきます。樹齢100年以上の檜から約10年周期で採取します。
*2 照り起り(てりむくり):「照り」は反りのある凹のカーブを描くもので、「起り」は反対に凸のカーブを描くものです。お神輿の屋根などでよく見られる形です。
平葺(ひらぶき)の厚さは本宇で約18cm、裳階で約14cmあり、通常一枚の檜皮は約1.5mm程度の皮を用いますが、今回は厚2.1mm程度の皮を用いています。1.2cmずつ檜皮を上下にすらして敷き並べ、5枚重ねる毎に3カ所を竹くぎで打ち止めます。それが5段重なったところで胴縁(棧木)で押さえ鉄くぎで打ちとめます。本宇正面流れでは約1,850枚の檜皮を並べており、平葺全体で約9,330束、約170万枚、約100トンも檜皮が使われています。現在檜皮の入手は困難になってきており、平成29年から屋根葺き替え工事を始めるにあたり、平成21年より檜皮を集め始めました。
この本いいですね。近々購入したいと思います😀